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原爆・ヒロシマ・平和について ブログトップ

祈りの朝 [原爆・ヒロシマ・平和について]

仮眠して、深夜のケアをして
経管栄養が順調に落ちているか
しばらく起きて様子見しながら
ご訪問いただいた方々の
ブログをちらっとお邪魔して…


shingekiさんのブログ「心撃の動画」、
こちらにお邪魔してひとつ動画を見たら
妙に目が冴えてしまいました。

「この世界の片隅に」の特報の動画でした。
こうの史代さんのマンガ
「夕凪の街 桜の国」を持っています。
どこにしまい込んだか今思い出せないけれど、
マンガを読みながら伯母の姿が浮かんできました。



好きな人との結婚に反対され、
なんとか結婚できても
被曝の影響を懸念して
子どもを持つことは断念し、
常に体調を懸念し、
何度も大病を患い。

伯母が生きているうちに
極一部しか知らない
伯母の生きてきたこれまでを、
聞いて、そして何かの形で残したい、
そう思って勇気を出して切り出しても
「大概の語り部さんと同じようなものよ」
そう言って険しい顔をした。
踏み込まれることを拒む表情だった。

私は呉市に生まれて結婚するまでそこで育った。
海軍の町で、戦争中は地図から消えた町。
呉の外れの、海軍にちなんだ名前の
万年筆工場のある町だったが、
70年前の今日、父はこの町から
キノコ雲が見えたと言っていた。
小学生の頃の宿題で家族に戦争中の話を聞く、
その宿題で聞いた話だった。
音がしたから見たと言っていたような…
もう40年近く昔に聞いた話だから
もう一度父の頭がしっかりしているうちに
話を聞いておこうかしら。
原爆の音が聞こえたって不思議じゃないもの、
宮島の花火大会の花火の音が聞こえていたから!
大和ミュージアムにも
そのような記述の資料を見たのは
あれは常設展示だったのか特別展だったか
開館間もない頃の事だから…どっちだろう?


1分半に少し足らない動画を見ただけで
私はこれだけのことを思い返してしまった。
ぐるぐる頭の中にどうしようもない思いが廻る。
寝直そうか、でも5時にはお兄ちゃんを起こして
犬の散歩へ行かさなきゃ…
中途半端に寝るとかえって辛いかなぁ?
あ、でもそろそろ祈りの朝が来るよ、
川沿いに水を求めて命を落とした人達に
手を合わす人達が身支度を整えだす時間かな?
今日の広島は気温が随分と高くなるらしい。
今日のヒロシマは随分と熱くなるのかしら。

伯母は祈りと苦悩と憤りの1日を過ごすのだろうか…
少し日を置いて、被爆者の手記集が
手元に残っていないか尋ねてみよう
何が自分にできるのかもう一度考え、
止まったままにしている事を
少しずつでも再開する努力をしなくては…

あら、もうお兄ちゃんを起こす頃だわ!
早起きのカラスがもう鳴いている。
暑い1日となりそうで、
式典参列や鎮魂の為集まる人達が
暑さに参らないようにと願うばかりです。

8月6日の会話 [原爆・ヒロシマ・平和について]

昨夜、晩ご飯を食べている時、NHKで
「終わりなき被爆との闘い~被爆者と医師の68年~」
をやっていました。

北海道から義妹一家が来ていて
母屋で3家族一緒に晩ご飯を食べていたのですが
子供たちは大いに関心があるようで
観たいといっていたのですが
りんちゃんのお父さん、義妹は
子供に見せることに難色、
まして食事中見るにふさわしくないと
テレビを消してしまいました。

私は…見たかった派です。
食が落ちるとか、見ていて気持ちよくないとか、
言わんとすることはわからんでもないですが
ただ、子供に見せるにふさわしくないって、違うよなぁ…


ささっとみんなと乾杯し、軽く食べてから
りんちゃんのご飯を済ませるために
一足先に自分の家に帰りました。


持ち寄るおかずを作っていたのでお風呂がまだ、
りんちゃんの栄養をスタートして
パパッとシャワーを済ませて出てきたら
残念ながら、NHKの番組は終わっていました。


子供たちはご飯を済ませて
りんちゃんちでゲームをするためやってきました。
番組の終わりをちょっと見てゲームをしていました。
今の子供たちはどんな事を感じているんだろう…


昨年中沢啓治さんが亡くなったこともあってか
「はだしのゲン」は知っている、有名だね、という回答と
白血病になっちゃうんだよね、という回答が。

確かに白血病、多いかもね。
でも、実際には放射線の影響で遺伝子への影響も大きい、
癌やその他さまざまな病に苦しんでいるし
全てが究明されているわけではない、
子孫への影響だって心配。

でも、答えてくれた甥っ子に
病気以外に怖いことがあることを話しました。
「ヒバクシャ」であるだけで偏見の目でみられたり
爆心地に近いほど、瞬時に多くの家族を失ったり。


以前記事にしたことがありますが、
叔母は被爆しています。
爆心地に近かったのだと思うのです。
家族はあの日か、その後か亡くなり、弟しか残っていません。
家もなくなり、寺町のお寺で寝起きさせてもらったそうです。
中区寺町、原爆ドームから1kmと離れていないと思います。

叔父は、父の一番下の弟、
叔母と結婚すると言った時、殆どの家族から反対され、
次姉と結婚した、伯父が唯一味方してくれたとか。
なかなか祝福されなかったり、結婚しても
被爆の影響を懸念して子供を断念したり
色々な病気になる度治療手術をしたり、
世の中が“終戦”を迎えていても
果たして叔母は本当に“終戦”を迎えているのだろうか…


甥っ子は「ふーん、そうなんだ」と言っていましたが
ゲームをスタンバイしていた我が家のおにいちゃんに
コントローラーを渡されすぐさまゲームに没頭していました。

さて、この夜話したことが、どの程度彼の中に残るのか…



本当はサブブログの下書き記事を
8月6日までに完成したかったのですが
なにせ、この記事ですら当日にアップすることもままならず…
母屋のお義母さんはてんてこ舞いです、
暑さもあって、バテ気味です。
普段年寄り2人と老猫1匹ののんびりした生活が
この1週間娘夫婦に孫4人(うちの兄ちゃん入りびたり…)
週末から晩ご飯のおかず作りを手伝うため
買い物や準備、片づけでなかなか記事アップや
いつもお邪魔しているソネブロさんの所にも行けていません[あせあせ(飛び散る汗)]

今夜は親子丼と何にするか…
片がついたらサブブログを完成し、
今夜こそあちゃこちゃお邪魔したいと思っています。


福島につながる思い [原爆・ヒロシマ・平和について]

先ほどサブブログ「あの時の記憶」を更新いたしました。
よろしければお立ち寄りください。


私の手元にある山下会の会報『あさ 18号』の中で
一番長い手記、やっと最後まで入力を終えました。
なんてったって、まもなくまた今年も8月が来ますから…
それまでにもうひとつくらいは手記をアップしたいものです。

送り仮名とか、今とちょっと違っていたり
漢字も、すみません、私あまり漢字に強くないので
入力しようにも読み仮名が思いつかず
とりあえず入力はしました、みたいな…
なので、入力&入力後誤字脱字のチェックで1時間半?
いつもの『ゆうきリンリン』の記事アップは
家事と体力&気力回復後に…今日はできるかしら[ふらふら]


入力しながら、30年近く前の手記であるのに
今、東日本大震災後の福島のことと重なってしまいました。
原稿入力する際は、文字を目で追って入力するですが
思わず読み入ってしまって、時間はかかる、
字を追うのと違って内容が理解できないと読み返すなど
普段以上に時間も体力も使ってしまいました。

30年前は確かにトマホークでした。
テンフィート運動とか、平和教育で学んだこともありました。
果たして今は…一体広島型爆弾の何倍の威力の兵器が
どれだけ地球上にあるのでしょうか…

私が幼少の頃は、学校で平和学習がありました。
夏休みの宿題で戦争体験を聞いてきましょう、とかありました。
今時代がかわり、住む所もかわり、
私の子供はどのようなことを学ぶのでしょうか…


次の記事用に写真はアップして準備済みです。
家事をきちっとこなして、起きていられたならば
先日の海の日のことでも写真いっぱいでアップしたいです[わーい(嬉しい顔)]



財産 [原爆・ヒロシマ・平和について]

昨日広島の叔父夫婦に電話をしました。
膵臓癌の手術の際におくった御見舞のお返しが届いたので
無事受け取ったことの連絡と、元気にしているか気になって。

まだ傷が癒えず毎週病院に通っている様子。
傷がふさがらずガーゼを当てているとか。

叔母は昔から私のことを気に掛けてくれます。
小学2年の時、祖母が入院し付き添いの母は
その当時流行っていた肺炎に罹り同じ病院に入院、
そして祖母が亡くなると時を同じくして私も肺炎に…
病室は満室でやむなく自宅で1ヶ月以上療養したのですが
誰もいない家にひとり、心配をしてよく来てくれました。

従姉の伴侶が自宅で自殺した際も
私のことを一番に心配してくれた叔母。
被爆者で健康に不安を抱えた叔母と
癌の手術を受けた叔父を気にして電話をしたのに
「りんちゃんは大丈夫?●●ちゃんは元気にしてる?」
頑張りすぎてないか、色々大変だろうに無理していないか、
家族全員風邪を引いていないか、元気にしているか、
元気で明るい叔母の声は電話の相手が私と分かると
堰を切ったように質問攻め、心配掛けてごめんね、
気に掛けてくれてありがとう。

広島らしいものが欲しければ送ってやるよ、
そう言って以前県外の方におみやげと思い
叔母と一緒に買い物に行った「山豊の粽菜」のことを覚えていたようで
「粽菜送ってあげるからね~」とちゃきちゃき話を進めていく(笑)

随分前に栗原はるみさんのお店にも置いてあると話題になった?
広島菜漬けですが、中心にキュウリや大根などの漬け物を芯に
切り口がお花のようにみえるよう広島菜漬けで巻いた細長い漬け物を
食べやすいように切ってパウチしてあるものなんですが
もう随分前、10年以上前のことを覚えていてくれました。

でもね、私が本当に欲しかったのはそんなものではなくて
叔母の手元にある被爆者の手記をまとめた会誌だったんです。
もうひとつのブログで紹介している(今また停滞していますが…)
山下会誌「あさ」をはじめ叔母の手元にある手記が欲しかった。
なかなか自身の体験を話してくれない叔母、以前聞きたくて切り出すと
だれの話も同じような物だから読んでみればとくれた会誌。

何か欲しい物はない?の叔母の言葉に思い切って切り出しました。
インターネット上のブログというものに少しずつ載せているよと言うと
叔母の手元に埋もれさせているよりも、少しでも若い人に伝わるなら
この体験を風化させることなく残していけるならば、
しまい込んでいる手記や冊子、その他これをと思うものを探して
送るから待っていてね、と少し興奮気味で応えてくれました。
数年のうちにどのような心境の変化があったのか、
子供のいない夫婦、叔父も健康上の問題を抱えている今…

どれだけの資料が私の手元に届くのかはわかりません。
色々やるべきことがあるのに、また新たな目標を課せてしまい
果たしてどれもこれも頓挫しないでやれるのか…ウーーン[ふらふら]

でもね、誰でもできることではないのかもしれない、だからやってみたい。
「ゆうきりんりん~」のようにアクセスがあるブログではないです、
8月が近づき終戦の日まではビックリする程のアクセスはあるのですが
通年での関心というと…まあ私の更新の頻度が低すぎる所為でもありますが[あせあせ(飛び散る汗)]
時間を掛けてでも少しずつ、風化させることなく誰かに伝われば。

今こうして入力しながら、ふっと昔の記憶が…

広島市内、幟町にカトリック幟町教会 世界平和記念聖堂があります。
2000年を迎えようとする1999年のクリスマスイブ、
仕事の帰りに初めて世界平和記念聖堂のミサに参列しました。
短大がカトリックの学校でちょこちょこミサはありましたが
カトリック信者というわけではなかったので
短大に進学するまではあまり縁のないものでした。
悩める年だったこともあり、一念発起参列しました。
ヨハネパウロ2世もおみえになったこともある教会、
深く考えず出掛けたのですが、胸が詰まって涙が止まらず…
心より世界平和、人々の幸せを願ったクリスマスイブでした。

これからりんちゃんを施設に連れて行き、
こっそりサンタさんの代わりにプレゼントの買い物にいきます。
おにいちゃんがサンタさんにお願いした物、
サッカーボールが欲しいんだって。
幼稚園の頃やっていたサッカーが楽しかったようで
年が明けたら早くサッカースクールに通わせてあげなくては!
大忙しのサンタ代行、ぼちぼちりんちゃんの注入が終わるわ!!
今日もフル稼働で頑張りましょう~[手(チョキ)]

8月6日、広島出身者として [原爆・ヒロシマ・平和について]

毎年この日になるといろいろな事を思うもので…

広島県人として生まれました。
海軍の町、呉市に生まれ育ったこともあり
幼少から戦争というか原爆に関して
身近に感じることが多かったと思います。

呉は海軍の町、戦時中は地図から消えた町。
通っていた高校からは練兵場、術科学校などが見えました。


本当ならば原爆投下された日に祖母は疎開要員で
広島市内に出掛ける予定、たまたま別の用事で行かれなくて
被爆することはなかったようですが、「たまたま」がなければ…
あ、疎開、わからないかもしれないですね?
焼夷弾など落とされた時、家が密集していると延焼するので
家を間引くというか、壊すことです。


叔母は爆心地にほど近い場所で被爆しています。
叔父と結婚する際には祖父母や私の父など
家族中から反対されたそうです。
子供は本当は欲しかったと思いますが、断念したようです。
その分、私たち甥っ子姪っ子を随分かわいがってくれます。
風化させたくないと思いホームページなど構え
そこに叔母から色々聞いて残したいと思ったのですが
被爆した人たちで作った文集を手渡され
「ここにみんなが書いている事と大差ないから」
そう言って語ろうとしません。
胆石の手術や乳ガンの手術、血圧やいろいろ
病院とはつきあいが長いようです。
いつまでも元気であって欲しいのですが。


小学校の時の宿題で記憶にあるのは
両親や祖父母から、戦争中の事を聞いてきなさいとか
夏休み教材の中にトビウオの親子のお話があったこと。
夏のある日、子供のトビウオが季節外れの雪に大喜びし
海面を飛び跳ねてはしゃいでいたけれど、それは核の灰。
トビウオの坊やはそんなこと知りません、お母さんも。
間もなく黒い雨が降り始めたのでした。
時間が経つにつれ、トビウオの坊やは元気がなくなってしまう。
死んでしまったのかどうかまでは幼少時の事なので曖昧ですが…


他県に住んで思ったこと。
幼少の頃から当たり前のように向き合ったり感じていたことが
当たり前でなかったこと。

広島と長崎に原爆が投下された時間に
公民館など一斉にサイレンを鳴らします。
8月15日の正午にもです。
1分間のサイレンが鳴り、黙祷できる状況ならしていました。

旦那の転勤で約2年間横浜に住み
その後長男であるため、仕事を辞めて実家の九州に。

横浜ではサイレンを聞いた記憶がありません。
終戦記念日にはなっていたのかな?
8月6日と9日には鳴っていませんでした。

九州(ここは長崎県ではありません)では
9日と15日にはサイレンが鳴ります。

横浜にいた時、コールセンターの仕事をしたのですが
採用後の研修でスピーチとか色々な訓練がある中、
この事を話をしたら驚かれたことを覚えています。

今広島県内の学校でどのような取り組みをしているのか
それは姉や友人に聞いてみないとわかりません。
どんどん風化してしまうのだろうか…


夜中の経管栄養の合間に
ふと思って書いてみました。
どんな形で自分の子供に残せるのかな、なんてね。
りんちゃんがもう少し大きくなったら
夏に実家に帰省し、原爆資料館など連れて行きたいな。
さあ、そろそろ栄養ボトルのお片付け…
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